プロフィール

私は麻酔・集中治療医として働く医師です。

麻酔科医と聞くと、「9時5時」「金持ち」「フリーランス」「羨ましい」といった声を、同業者からも聞くことがあります。もちろん、そういった麻酔科医もいますが、残念ながら(?)私は全然違います。というより、私も含め、私の周囲にそのような人は一人もいません

そんな世間の印象を変えたく、このブログを立ち上げた、訳ではありません

私はこれまで、医師のあるべき姿を求め、いろんなことに挑戦してきました。失敗も多く、遠回りも沢山してきたと思います。そんな私の経験が、少しでも私の経験が他の人の役に立てばと思い、このブログに書き記していこうと思っています。

以下、私のプロフィールをご紹介します。

病院と切り離せなかった幼少期

アトピー性皮膚炎&喘息

幼少期よりアトピー性皮膚炎を患いました。西洋医学だけでなく、今で言う「エビデンスのない」ありとあらゆる治療を試しました。枕や下着は血と浸出液でまみれ、関節を曲げるのも億劫なりました。小児喘息も重症で、息ができず救急車で運ばれたこともあります。息子の苦しむ姿を見て、何かできることはないかと奔走し翻弄された親は、どのような気持ちだったのでしょうか。

幼い頃から様々な医療と医師を身近に見てきて、私なりの「良い医師とそうでない医師」、「なぜ医師によって治療が異なるのか」、「なぜ治る人と治らない人がいるのか」など、何となく頭の中で考えて生きていました。

怪我に見舞われた大学生活

その① 左手骨折を契機に、計4回の手術歴

契機は只のスノーボードだったのですが、左手を骨折してしまいました。当初はギプスで固定するだけでしたが、運悪く粉砕骨折であったため、固定したした数ヶ月後、骨がずれてしまいました。

手術&骨移植

このままでは数十年後に機能的障害が残ると言われた私は、粉砕した骨を補強するため骨移植を受ける決心をしました。しかし、長期間固定した後の手術であったため、関節がかなり拘縮していました。

腱断裂→腱移植→腱の癒着→腱剥離術

医師からは頑張って動かしなさいと言われ、何とかして拘縮を和らげようと日々リハビリ日励みました。するとある日突然、「バッチーン」と音がなり、左第二指が動かなくなりました。リハビリの際、手術で埋め込んだ金具と靭帯がスレて、腱が断裂してしまったんですね。

腱移植術後、今度は医師からは、「動かさないように」と言われました。前回とは真逆です。ずっと安静にしていました。すると今度は、腱が周囲の組織と癒着してしまいました。

腱が癒着してしまっては、指が動かせません。仕方がないので、今度は腱の剥離術を受けました。

創部感染→皮膚離開→皮膚移植

これで終わりかと思いきや、何度も手術しているせいか、今度は術後創部感染を起こしてしまいました。開創しガーゼパッキングのまま生活する日々が始まりました。

数週間後に、なんとか感染症も落ち着き、閉創となりました。が、その後創部の皮膚が徐々に離開し、ついには内部が見える状態になってしまいました。そして今度は皮膚を移植する手術が施行されました。

結局、治るまでに1年以上かかりました。そして、今の私の左手は拘縮・癒着し、動きに制限が残った状態です

その② 苦しんだ気胸

やっと骨折も治癒(?)した矢先、今度は実習先の病院で気胸を発症してしまいました。定石通り、まずはトロッカーを入れて保存的に経過観察としました。幸いリークは止まり、数日後に退院できました。しかし、いつ再発するのかビクビクしていたところ、、、

国家試験1週間前に再発→別室受験

なんと、医師国家試験の1週間前に再発してしまいました。即入院し、再度胸腔ドレーンを挿入。そしてそのまま、国家試験に突入です。病院から試験会場に向かい、そして病院に帰ること3日間、一人別室で受験しました。私一人のために試験管、看護師、そして母親が後ろに待機しながらの試験でした。

手術するも、リークが持続。胸膜癒着療法も追加

試験も無事終わり、再発でもあったので、今回は手術となりました。しかし、術後のリークが止まりません

なんとかリークをコントロールしようと、肺胸膜を癒着させて強制的に気胸を治す癒着療法が施行されました。自己血で一回、ピシバニールで一回。息もできなくなるほどの激痛の中、ごろごろと体位を変えなければなりません。それでも、リークは治りません。

結局、再手術しかない、ということになりましたが、その前に気分転換、外泊をしました。そこでドレーン周囲を念入りに密閉したところ、リークが止まりました。そうです。ただ外の空気を吸い込んでいただけ(→外気胸)でした。。。

医師になってから

なんとか国家試験に合格し、無事医師になることができました。しかし、もともとそんなに成績優秀な方ではありません

「お前が馬鹿だから患者が死ぬ」

研修医時代、ある先輩医師にかけられた言葉です。

実際に私の不勉強な所為で患者の状態が悪くなる、という事象が続き、その先輩医師が私を叱った時に発した一言でした。

この言葉にはハッとさせられました。心のどこかで他人に甘え、誰かが助けてくれると思っていました。以来、自分が最終ラインのつもりで勉強する日々が続きました。

かなり厄介だったレジデント時代

勉強しすぎるのも考えもので、いつからか私は随分とトンがった、面倒な医師になっていました。卒後3年目にして三次救急や心臓麻酔をガンガンしていた私は、有名国際誌の論文や麻酔の成書であるMillerの原著も読み漁っていました。卒後4年目には大学に入局し、上司とぶつかる日々が続きました。

少しでも成書やガイドライン、論文に書いてあることと違うことを臨床で見つけると、本気で上司に噛みついていました。それが学会の大御所だろうが、それこそMillerの翻訳者だろうが、何かにつけて盾突いていました。本当に、厄介なレジデントだったと思います。

そんな私が伝えたいこと

人の経験を役立ててほしい

人は皆、好き放題言いますよね。そんな時、私は経験談に基づいていない意見には懐疑的です。

  • 「大学なんて行く意味はない」「医局制度はクソ」としばしば聞きますが、それを語っている人の多くは医局人事に乗ったことのない人です。
  • 「日本の医療は世界トップレベル」「日本人は世界中で最も勤勉」と聞きますが、海外を見ずしてそう言っている人に説得力はありません。

私はこれまで、理想の医師像を追い求めるために様々な経験をしてきました。

  • 大学では助かる症例があると聞けば、大学に勉強しに行きました。
  • 独りよがりの医療にならず「正しい」医療が何か知るには臨床研究を学んだ方が良いとなれば、ハーバードまで行って疫学と統計の勉強をしました。
  • 尊敬する臨床医が「オーストラリアでの臨床留学は今の自分の礎」だと言えば、私もその施設で学ぶことにしました。

経験したからこそ、語れることは少なくないと思っています。ブログの一つ目の目的は、純粋に私の経験をシェアすることです。私なんか本当に大したことありません。世界を見れば見るほど、日本人を含め同年代または私より若くして桁違いに活躍している人が沢山いることに気づきます。それでも、そんな私でも、何か貢献できることがあるはずです。毎回多くの壁にぶつかりここまで来た私の経験をシェアすることで、他の誰かが私より短時間で効率よく、より少ない労力で次のステップに行けるかもしれません。

答えは自分で考え見つけるしかない

例えば、理想の医師像は、どのような姿なのでしょうか。患者の手を握ってくれれば間違った医療をしても許されるのでしょうか。逆に、疫学的・統計学的に「正しい」研究の研究結果を取り入れることが、現場で本当に正しい選択なのでしょうか

医師個人の犠牲の上に成り立ってきた日本の医療は崩壊寸前です。現在、政府や病院経営者が必死で立て直しを図っています。しかし、働き方改革がどんな医師を生み出すのか未知です。経営側・政策者側に立てばボトムアップが大切ですし、医師や病院によって差のない医療を提供しなければなりません。一方、このような方針が、(特に優秀な)医師個人の「質」や「やる気」を落とすことだって十分あり得ます。数年後には日本人医師の個々の資質は地に落ちているかもしれません。

正直、多くを経験すればする程、正しいことなんて一握りもないことがわかります。誰かが主張するほぼ全ての事象は、ある一側面において正しいだけに過ぎません。

私が一つ言えることは、自分の目で確かめ考えるべき、ということです。答えなんて、誰も知りません。このブログを読み、私の行動や経験談が刺激となり、何か少しでも今までと違うアクションにつながれば、私にとってこれとない幸せです。

是非とも私の経験を踏み台に、新たな世界に飛び込み、切り開いてください。

最後に

できる限り私の経験が人の役に立つ様、いろいろと書き記したいと思っていますが、全てを書き残すことはできません。もし本気なら、私(お問い合わせ)でも良いですし、経験している人に直接連絡を取ることをお勧めします。私もこれまで、何度も見ず知らずの人に、メールなどで面接やテレビ電話を申し込みました。そこで得られた情報は非常に有用なものです。

Good luck!!

木村聡