以前、『なぜ大学病院に人が集まるのか』という記事を書きました。今回は、今の私が思う、大学が敬遠される理由について述べたいと思います。
個より組織を優先
大学病院では多職種の多くの人が働いています。職種が増え、年齢や地位が多岐にわたり、人の数が増えれば増えるほど、価値観は多様化します。価値観の異なる多数の人が一つの組織を構成するため、組織運営には「全体」と「調和」がとても大事になります。そして、その構成員は個より組織を優先することが求められます。
もちろん市中病院であっても個人より組織を優先する人もいますし、そのような人が重宝されることには違いありません。しかし、大学病院では組織が大きい分、構成員それぞれの和を大切にしなければ崩壊してしまうので、より全体を優先する力が求められます。極端な事を言えば、個々の「自由」は許されません。人材の豊富な大学病院では、替えは幾らでもいます。組織より個を優先する人間は生きていけません。自由を求める人と大学病院との相性は、あまり良くありません。
肩書きに縛られる
大学病院の肩書きと影響力は、決して過小評価できません。記事『なぜ大学病院に人が集まるのか』にも書いたように、人は肩書きに挨拶し、肩書きに近寄ってきます。その肩書きの大きさから、大学病院で働く医師にはその「自覚」を求められます。
もちろん社会人ですので、教師には教師の自覚、警察官には警察官の自覚が必要であるのと同様、医師には医師の自覚が必要なのは、どこで働く医師であっても変わりません。しかし、大学病院という大きな組織はその職業の自覚とともに、大学病院の一員であるという自覚と行動が求められます。
これは、大学病院の敷地内にとどまりません。学会会場であっても、共同研究のミーティングであっても、行政との話し合いであっても、本や雑誌の執筆であっても、そして医学と関係ない活動であっても、本人の意志に関わらず常に「〇〇大学の」という肩書きが付き纏います。
この肩書きが交渉力や発信力の手助けとなることも勿論あるのですが、行動の自由は奪われます。政治家が肩書きを外して自由に行動できないのと同じです。大学病院の医師は、その行動規範を守ることを強く求められており、良くも悪くも肩書きに縛られます。
仕事が多い
大学病院での医師の仕事は、「臨床」「研究」「教育」の三本柱から成り立っています。臨床とは、通常の臨床医として患者を診る仕事です。稀な疾患や手術など、大学病院だからこそ経験できる症例は多々ありますが、「臨床」という枠組みでは市中病院と同じです。しかし、大学病院での医師の仕事は臨床だけではありません。それら臨床に加えて研究や教育の仕事が存在します。
大学病院は研究施設です。もちろん、高度な設備が不要な研究であれば、市中病院であっても遂行可能ですし、行うのは自由です。しかし、大学病院においては研究を「やってもいい」ではなく、「やらなくてはならない」というスタンスです。博士課程に進んだ医師が研究を行うのは当然ですが、彼らを指導する上司も含め、大学の医師は研究を行うことが「あるべき姿」として捉えられています。
また、大学病院は「大学」ですので、多数の学生が在籍しています。すなわち、博士課程の大学院生や医師の卵である医学生への教育が、大学病院で働く医師の仕事に含まれます。大学院生には研究の指導を行いますし、臨床の合間に講義室まで出向き学生へ講義を行うこともあります。日々の臨床現場に研修医だけでなく医学生がいますので、彼らへの教育を行う必要があります。大学病院の職員である以前に大学の教官でもあるため、センター試験などの試験監督を担当することもあります。
上記三本柱の他にも、大学病院に所属していれば、学会の仕事や講演、執筆の仕事が降りかかってきます。コネの世界なので、このような仕事は権力のあるところ(すなわち大学)に集まり、それから個々に割り振られます。こちらも強制ではないですが、大学の一員としてやって当たり前の仕事の一つです。毎年提出する評価表にも、上記のような研究活動や教育活動、学会や執筆活動について記載する必要があります。
実はこのような臨床以外の仕事が、臨床医としての深みを与えてくれることがあります。しかし、医師の本業である臨床に全振りできないことは、ある一定数の医師が大学病院を敬遠する理由になります。
信頼されるのに時間がかかる
その人の仕事ぶりや人となりを理解してもらうには、ある程度の時間、一緒に働き時間を共に過ごす必要があります。規模の小さな病院では毎日同じメンバーと顔を合わせるので、自分を理解し信頼してもらうまでの時間は比較的短い傾向にあります。他人から頼られるというのは、とてもありがたく嬉しいことです。若くても真っ当な仕事をしていれば、市中病院の方が頼られやすく、日々の働き甲斐を感じやすいかもしれません。
一方、大学病院では、他人から信頼されるのに時間がかかります。医師や看護師など、属する職種と人数の多さは大学病院の大きな特徴です。人数が多いと同じ人と顔を合わせる頻度が減ります。昨日一緒に働いた人と次に一緒に働くのは、数週間後や数ヶ月後かもしれません。つまり、大学病院では同一の同僚やコメディカルと共に過ごす時間が得にくい特徴があります。そして、人間は忘れる生き物ですので、前回一緒に働いてから数ヶ月経ってしまうと、その時の印象を忘れてしまいます。久しぶりに一緒に働いたら、「お名前、何でしたっけ?」なんてことも稀ではありません。悪い印象は残っても、良い印象は残りづらいです。大学病院で普通の真っ当なことをしていても、印象に残り信頼されるには相応の時間がかかります。
スペシャリティがなければ居心地が悪い
大学病院は、専門家の集合体です。様々な領域の専門家が集まることで組織が強くなりますので、個々がスペシャリティ(専門領域)を持つことが推奨されます。
ここで言うスペシャリティとは、〇〇科、といった専門科ではなく、その専門科の中の専門分野です。呼吸器内科の中でも肺気腫、形成外科の中でも母斑、小児外科の中でも小児肝移植、小児科の中でも自閉症など、何かしらの領域で優れていることが求められます。また、スペシャリティは、臨床である必要はありません。医学教育や病院経営、医療統計や疫学も立派な専門性です。「困ったら〇〇先生に相談しよう」と思える人の集まりが大学病院です。
しかし、裏を返せば、大学病院では何かしらのスペシャリティがないと存在価値を見出しにくくなります。何か飛び抜けたものを持っていなければ、”only one”にはなれず、”one of them”に過ぎません。繰り返しますが、人数が多い分、代わりはいくらでもいます。普通に「できる」医師は目立ちません。スペシャリティがなければ大学病院で「頼られる」ことは少なく、アイデンティティを保ちづらい傾向にあります。
給料が安い
もはや周知の事実ですが、大学病院の給料は、開業医や市中病院の勤務医の給料と比較して低いです。そのため、大学病院の勤務医は生活のために大学病院以外の病院で「外勤」として働き、バイト代で生計を立てています。しかし、緊急手術など大学の仕事が入れば、生活の生命線である外勤を潰さざるを得ないこともあります。
外勤の数を増やせば給料が増えるのでは?と思われかもしれませんが、大学病院が本業であるため大学病院での勤務時間を減らして外勤を増やすことは許されません。勤務時間を減らさなければ良いのかというと、そうもいきません。前述のように大学の医師には組織と肩書きが常に付き纏いますので、土日や当直明けの外勤もフリーランスのように自由にはできません。また、外勤先は医局が管理しており、仮に同じ外勤先の同じ業務であっても、大学の医局員に支払われる給料はフリーランスに支払われる給料よりは低くなることがあります。
大学病院でスタッフ(助教以上)として雇用されていればまだ良いですが、ある程度大きな医局では、医師15-20年目で数多くの条件をクリアするまでスタッフにはなれないこともあります。結果、大学病院には、名目上「非常勤」という雇用形態の医師が数多くいます。フリーランスが一日で稼ぐ給料の1/10〜1/30程度の日当手当のこともあり、住居手当や扶養手当もありません。
また、大学病院では研究活動が強く推奨されていますが、そのサポートは意外にも少ないです。確かに大学病院に在籍している人は科研費への応募資格がありますが、科研費を得られなければ研究活動はほぼ自費です。市中病院ではサポートされやすい学会参加費や交通・宿泊費も、大学病院の非常勤医師には出ないことが多く、スタッフであっても年間の補助限度額は市中病院と比較しても低いです。時に数十万円にも及ぶ英文校正費用や論文投稿費用も、基本的には自費です。臨床研究の賠償責任保険を自費で払っている人もいます。
就労規約による規制が多い
大学のスタッフは、非常勤と比較して社会福祉的には恵まれています。しかし、準公務員という立場ですので、いわゆる副業は施設毎の就労規約により厳しく制限されています。組織の代表や法人、個人事業主等、細かな規定が存在し、多くが禁止・規制されています。また、研究により発明や特許を取得しても、知財は大学に帰属します。大学病院は、「肩書き」だけでなく、実際の規制も多い組織です。
まとめ
このように、大学病院には敬遠される理由が幾つかあります。人によっては、全くメリットを感じないかもしれません。一方で、『なぜ大学病院に人が集まるのか』に書いたように、それでも大学病院に属する人もいます。上記のような「苦行」に耐えられる人が在籍しますので、我慢強い人が残る印象があります。いずれにせよ、人生は経験です。Comfort zoneから出ることも大事です。人生勉強という点では、興味のない人も一度は所属するのもアリかもしれません。
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