つぶやき

臨床と研究の両立は必要か

最近、「臨床と研究、どちらを選ぼうか悩んでいる」「両立するのは無理なのか」といった悩みを聞くことが増えました。私自身も同様の悩みを抱いていましたし、正直、今も解決できていません。もはや、永遠のテーマではないでしょうか。

私はこれまで、研究留学し、公衆衛生学大学院にも行き、アカデミックな道を進むのかと思いきや、小児心臓麻酔といったコアな臨床に手を出し、その関連分野で臨床留学へ進もうとしています。今回は、そんなどっちつかずな私が考えてきたことを少しでも言語化したいと思います。同様の悩みを持つ方も沢山おられると思うので、参考になれば幸いです。

突き抜けるには、どちらかに特化した方が良い

医学に限らず、ある分野で突き抜けるには、その分野に特化した方が有利です。ある特定の分野に集中すればするほど、他人よりその分野において知識も技術も優れ、「権威」と呼ばれるようになるかもしれません。私達は限られた時間しか持っていないため、本気で費やした時間が多ければ多いほど、その分野においては他の人よりもアドバンテージとなります。

この「ある分野で秀でる」という事は、非常に重要です。たとえそれがニッチな分野であっても、その分野の第一人者となれば存在価値が高まります。オンリーワンになれば、代わりのきかない人物として組織や地域、国、そして世界から重宝されます。

私の留学時代のボスは、「とりあえず何でもよいから、誰にも負けない分野を作りなさい」と常々言っていました。そうすることで、自分が必要とされ始め、道が拓けていくと。

何かにおいて秀でるという意味では、おそらく臨床か研究、どちらかを選択し専念した方が良いのでしょう。

では、そのどちらか一方を選択することが、必ずプラスに働くのでしょうか。物事、そう単純ではありません

社会に還元できない研究になるリスク

まずは、臨床を辞めて研究に専念する場合を考えてみましょう。

研究のみに特化した場合、それが社会的に解決すべき疑問なのか、それとも単に自分の探求欲・解決欲なのかの区別が難しくなることがあります。特に医療現場で働くことを辞めた医師が、日々変わる臨床現場の問題点を見つけ続けることは簡単なことではありません。

臨床医は日々患者と接していますので、その仕事自体がある程度社会的還元となっています。そして、現場で働いているからこそ、何が必要で何が足りないのか、現場では何を悩み、何を解決すれば患者が利を得るのか、そういったことを日々考えることができます。

臨床現場の問題点は日々変化します。マネージメントや政策にも通じますが、1年前の現場の問題点は、もう意味を成しません。現場の意見をヒアリングするという方法もありますが、ヒアリングの相手が実は現場におらず、現場の本当の意見を反映していないことはよくあることです。細分化されればされるほど、伝言ゲームになり情報が捻じ曲がって伝わります。

「ある一つの壮大な臨床現場の悩みを、一生かけて研究で解決する!」くらいの意気込みがあるのであれば構いません。しかし、単に研究そのものが好きで研究者になるのであれば、次から次へと出てくる自分の疑問を解決するための研究となってしまうかもしれません。「社会的意義のある研究をすべき」という考え方に基づけば、研究のみに特化してしまうと、現場でのニーズから知らず知らずのうちに掛け離れてしまう危険があります。

この「社会的意義」という考え方、私を奨学生として支援くださった吉田育英会で非常に大切にされていた事でした。吉田育英会が奨学生を選ぶ際、それぞれの応募者の研究がどのような社会的意義を持つのかを、とても重要視していました。どれだけ面白そうな研究であろうと、どれだけ難解な問題に挑もうとしていても、それが個人的な探究心のみであってはいけません。後付けでない社会的意義のある研究、解決すべき社会的問題点に発した研究というのが、とても大切なのだと思います。

独りよがりの臨床は危険

逆にケースを考えてみましょう。他人の論文を読まずに自分の経験のみで医療を行う、ひと昔前のスタンスは論外ですが、ガイドラインを把握し論文を読んでいれば、臨床医は研究を自ら行う必要はないのでしょうか。

まず第一に、研究を全く行わない臨床医は、他人を批評し自分を正当化する危ない人になってしまうか、ただの雑学王になるリスクがあります。

自ら研究を行い論文を書いた人ならわかると思いますが、論文を読むのと書くのとでは、天と地との差があります。どんなに有名な雑誌に載っている研究であっても完璧な研究というのはなく、批判しようと思えば幾らでも批判できます。私レベルの医師でも、批評はとても簡単です。

一方、そんな偉そうな批判的コメントできる人間であっても、自ら研究を行い論文を投稿すると、(言い方悪いですが)大したことのない雑誌であっても、驚くほどの批判的なコメントを返されることが多々あります。「言うは易く行うは難し」さながら、「読むは易く書くは難し」です。

他人の論文を批判ばかりしている人間は、結局はそのようなエビデンスや研究結果に耳を傾けず自らの臨床を正当化してしまう、独りよがりな臨床医となってしまう可能性があります。また、この論文はこう言っている、新しいガイドラインはこう変わった、と偉そうに語る雑学王は、深く論文を読み込めていないため、全く異なる結果となった新しい論文やガイドラインに振り回されます(←昔の私ですね)。

第二に、自ら研究を行い論文を書く過程で、「批判される」ことこそが良い臨床医を形成する上では大切です。日々の臨床行為について(その病院外の)第三者に批判されることは、医療過誤などよっぽどのことがない限りありませんよね。学年が上がりポジションが上がれば上がるほど、(表立って)自分に批判的な態度をとる人間は居なくなります。研究をすることで定期的に第三者の目にさらされ、批評されるという過程こそ、他人の意見にも耳を傾け改めることのできる臨床医であるためには重要です。

もちろん、生粋の臨床医の中にも、他人の意見に真摯に耳を傾け、論文を謙虚に読むことができる方がいます。みんながそうであれば良いのですが、残念ながら多くはありません。

臨床も研究も、辞めると能力が落ちる

臨床も研究も、辞めるとその能力は着実に落ちていきます。厳密には、費やす時間が減るだけで、その能力は落ち始めます

「雀百まで踊り忘れず」と言いますが、踊りの質は劣化します。臨床に全てを費やしていた頃は静脈確保のため100回穿刺したら1回失敗するかどうかだった麻酔科医が、臨床の時間を減らすと100回中5回失敗するかもしれません。95回も成功するじゃないか、ではありません。患者によっては、今すぐ太いラインが欲しい超緊急事態のこともありますし、この静脈を潰せばもう次はない新生児かもしれません。その一本こそが、目の前の患者(n=1)の生死を分けます。麻酔の質も同じです。昔はちょっとした変化に直ぐに気づけた麻酔科医が、臨床の時間を減らすと麻酔中のそのような微妙な変化に鈍くなってしまいます。

このような事実は、臨床だけでなく研究も同じです。私は基礎研究ではなく臨床研究をしてきましたが、たった一つの研究を「正しく」遂行するためには、基本である疫学や統計についての膨大な論理と知識が必要です。それらを日々使わなければ、次々と忘れていきます。ついには、研究の質が低下し、何のインパクトもない「初めからやらなくてよかった」研究になりかねません。

理想の上司はスーパーマン?

日本は特殊な国です。昔からオールラウンドプレーヤーが崇拝されます。特に医師は特殊な人たちの集まりで、プライドが高く簡単には他人を認めません。臨床能力や研究能力が欠けているとそれだけで軽蔑してしまう傾向にあります。臨床が第一だと思っている臨床医は、研究や管理職を臨床の下にみます。 逆に研究者の中には、自分達は臨床家よりも多くの人を助け崇高な仕事をしていると思っている人も少なからず居ます。

悲しいことに、日本の臨床医の中には、backgroundは医師であった医系技官や経営コンサルタントの意見やアドバイスに耳を傾けないどころか、彼らの存在を敵視さえしてしまう人もいます。

逆に、後者の中には、臨床医を只の労働者として捉え、自分たちの理想を実現するための「駒」のように考える人達もいます。

逆に言えば、医師の二本柱である臨床と研究を最低限両立し、彼らの立場や考え方を理解することは(この「最低限」というのがまた難しいのですが)、人望を集める強力なツールとなります。

個人レベルでは、特化すべきか両立すべきかという議論は成り立ちます。しかし、集団レベルでは臨床と研究の両方が不可欠です。どちらか一方の医学はありえません。そのような集団を束ねる人物は、それぞれに特化した「濃い」人物達もまとめ上げなければなりません。将来、日本である程度のポジションに就くことを考えている人であれば、両者の立場になって考えることのできる「両立」は一手かもしれません。

ちなみに

臨床と研究を両立するにしても、どちらがメインなのか、という質問を受けることがあります。臨床ができる研究者なのか、研究ができる臨床医なのか、ということです。

個人的には、これはあまり意味のない質問だと思っています。というのも、それは働いている場によって変わるからです。周囲に臨床能力が長けた医師が多いのであれば、自分は研究をメインにしますし、周囲が研究者ばかりで臨床能力に疑問符がつくのであれば、自分は臨床をメインにやるでしょう。せっかく両立するのであれば(するにしても)、そのくらいのフレキシビリティーと実力は持ち合わせたいものです。

おわりに

Pros/Cons「あるある」ですが、どちらか一方を選ぶべきか、両立すべきかの結論は、結局出ませんでしたね。期待していた皆さん、すみません。

ただ、考える上での判断材料は増えたと思います。あとは、自分の価値観+上記の中で、どの評価基準を採用するかだと思います。あるものをとれば、あるものを失う可能性があるのは仕方ありません。トレードオフです。私は理想としている将来像のために現時点では両立していますが、優先順位や判断基準が変われば、どこかのタイミングでどちらか(またはどちらも)辞めるかもしれません。

ABOUT ME
木村聡
福岡県の研修病院で初期研修修了後、大学に入局。米国オハイオ州に臨床研究で留学するも、知識の欠如を痛感。ハーバード公衆衛生大学院に進学し、MPHを取得。マサチューセッツ工科大学メンバーとの共同研究などに関与。 日本では麻酔・集中治療医として働き、オーストラリアでは小児集中治療を一から学び直しています。 乗り越える壁を見つけ続けることは、なかなか簡単ではありませんよね。アラフォー目前、様々な壁にぶち当たり、それなりに多くの経験をしてきました。私の挑戦や経験・知識、失敗談などが、他の誰かの刺激になり、役に立つことを切に願っています。 プロフィールをもっと詳しく見る

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