アメリカで夢破れた理由

こちらにも書いていますが、私はそもそもアメリカ臨床留学に興味をもち、準備をしてきました。しかし、現時点ではその目標を達成していませんし、おそらく今後もすることはないでしょう。

ただ、せっかく夢破れたのであれば、その理由を考えシェアすべきですよね。「失敗こそシェアすべきである」とは、私の研修病院のモットーです。

では始めてみましょう。

なぜ私はアメリカで臨床医として働けなかったのでしょうか

目次

USMLEのスコアが低い

一般的に、USMLEのスコアは就職にとても重要と言われています。(低得点であっても)合格してしまうと、ある一定期間再受験はできないため、一発でかつ高得点で合格する必要があります。

しかし、私のUSMLEは低スコアです。まずはその理由から考えてみます。

そもそも高得点を狙っていなかった

なんじゃそりゃ、って感じですよね。言い訳にもホドがあります。

当時、日本で既に麻酔専門医であったことから、アメリカでレジデントから始める気は全くありませんでした。「さっさとECFMG(USMLE Step 1, Step 2 CK, Step 2 CS)を取得し、コネを使ってアメリカで専門分野のフェローを1年ないしは2年程度やってやろう」というのが私の戦略でした。ECFMGを取得することが最優先であり、スコアは気にしていませんでした

しかし、レジデンシーほどではないにしても、フェローだってスコアは大事です。最初の目標設定が低かったことは、敗因の一つだと思います。

模試

上の理由とも重なりますが、スコアを気にせず合格のみが目標であったため、実は本番前に模試を一回も受けませんでした。そんな人、あまりいないのではないでしょうか。少なくとも、私の周囲で真面目にアメリカのレジデントを狙っている人は皆、本番前に模試を何回か受けていました。そしてその結果が悪ければ、本番の日程を後にずらし、より一層勉強に励んでいました。

日本の大学入試だって、医師国家試験だって、普通は「模試」を受けますよね。しかし、ことUSMLEに関しては私は一回も模試を受けていません。ここでも、高得点を狙っていない、いわゆる「ナメて」た姿勢が浮き彫りになりました。

少しでもまともな点をとりたいのであれば、模試は受けるべきでしょう。

受験の順番

Step 2CK→Step 1は、スコア的には損

当時、既に5年近く臨床にどっぷり浸かっていたので、基礎医学の試験であるStep 1よりは臨床医学の試験であるStep 2 CKの方が取り組み易いと思い、Step 1より先にCKを受験しました。結果、確かに臨床医としてはStep 2 CKは取り組みやすく、そこまで辛い勉強せずとも合格することができました。

しかし、後々Step 1まで受験してみてわかったことは、Step 2 CKにもStep 1の知識がある程度必要、ということでした。Step 1から勉強し受験していれば、Step 2 CKの得点は上がっていたと思います。

Step CSを受けるまでに時間が空いた

Step 1とStep 2 CKは数ヶ月以内に受験しましたが、そこからStep 2 CSの受験までに3年ほど時間が空いてしまいました。理由は、私にCSを受験するだけの英語力がなかったこと。最低限の合格のみで良いという私でさえも、躊躇するくらいの低い英語コミュニケーション能力でした。そのため、まずはアメリカに研究留学し、語学を勉強しながらCSの対策をする、という方針にしました。Step 1やCKを受けてから留学するまでに3年空いてしまったため、このようなtime gapとなってしまいました。

そのため、留学しCS対策を始めた時、ほぼ全てUSMLEの知識を覚え直さなければならない、という事態に陥ってしまいました。完全に二度手間です。できることなら、Step 2 CKとCSの受験日時はあまり離れていない方がよいでしょう。

コネクションがない

やはりコネクションはとても大事ですが、私の場合、コネクションもありませんでしたし、コネクションを作るだけの努力も足りませんでした

「コネを使うなんて、、、」などと考えている人は、アメリカでは損します。コネとは、USMLEのスコア以上に重要な、そして誰もが認める立派なアピール材料です。

私が留学していた大学病院のラボには、夏休みや冬休みになると多くの学生がボランティアに来ていました。皆、そこの医学部に入学したい学生や、その大学病院でレジデントをしたい医学生たちでした。データ集めや文献集めなど、何でも手伝ってくれました。少しでも自分たちの入試やマッチングに有利になるよう、必死でコネを作ろうとしていました。

逆に、当時私の手伝いをしてくれていた学生は、私がアメリカでコネを生み出せる人ではないとわかった途端、スーッと私から離れていきました。

コネを作ろうと、皆必死で頑張っています。もし何かしらのコネがあるのであれば、それを利用しない手はありません。コネは使うのが当たり前で、使っても誰も文句を言いません。郷に入っては郷に従え。綺麗事を言ってたら負けます。

時々、海外で成功している人の中で「私の実力でここまで来た」という人がいますが、それは間違っています。少なからず自惚れがあります。組織やシステムに入るためには、誰か他人の力が働いていることが殆どです。たとえその人の努力でコネを掴み取ったとしても、コネはコネです。他の誰かが最後の一押しをしてくれていたのです。

ただし、一旦その組織やシステムに入ることができたら、あとはその人の頑張り次第です。

論文数が少ない

留学時代のボス(アメリカの大学病院の麻酔学教室のprofessor)が言っていたことは、

(Co-authorでよいから)アメリカのレジデントになるためには

  • ネイティブは1本
  • International Medical Graduates (IMGs)は10本

の論文が必要である。

と言っていました。真偽のほどは知りませんが、一つの目安なんだと思います。当時の私は1本しかなかったので、全然ダメですね。

ただし、日本人は比較的マッチングに成功しやすい印象があります。私の知り合いでマッチした日本人で、マッチング当時に10本も英語論文を書いて人は殆どいません。逆に10本あれば、随分と有利に働くのではないでしょうか。

早々に帰国してしまった

最後になってしまいましたが、私がアメリカで成功しなかった最大の理由は、さっさと帰国してしまったことだと思います。(臨床留学を夢見ていたオハイオ留学時代の)アメリカ滞在期間は、たったの1年間でした。

では、アメリカに居ないことが、なぜdisadvantageなのでしょうか。

最新の情報が手に入らない

後々聞いた、アメリカで成功している人達が口を揃えて言うことは、

アメリカに居座れば何とかなる

です。留学先の研究室なり、アメリカに居続ければ常に最新の情報が転がってくるんですね。突然レジデントやフェローが何らかに理由でプログラムからドロップアウトすることも度々あります。そのような急遽人員を補充したい時、まず声がかかるのは、その施設内の人物です。もし日本人であり何らかの専門的トレーニングを既に修了しているのであれば、尚更チャンスありです。このような時、日本に居ては、まず声はかからないでしょう。

コネクションを作るには時間も必要

短期間では、その人の本当の姿は見えません。そのラボで長期間必死に頑張っている人もいます。年功序列ではないですが、そのような人よりも先にどこかのポジションに滑り込ませてもらうのは、なかなか大変です。コネも一朝一夕でどうにかなるものではありません。ある程度長期的に頑張るのが大事だと思います。

言い訳にもなりますが、当時の私は既に卒後約10年。麻酔と集中治療の専門医を持っており、妻も仕事をしていました。その日本での生活・収入を捨てアメリカで生活することは、簡単なことではありません。

アメリカで働けるようになるまでは給料はありません。運良くフェローになったとしても、給料はたかが知れています。子もいる状況で、妻のキャリアを犠牲にし、私の夢だけを求めて何年もアメリカに居座る勇気も決意もなかったんですね。

番外編:フェローから開始できるプログラムは少ない

前述のように、私の目標はアメリカで(レジデントではなく)フェローをすることでした。しかし、インターネットで検索するとお分かりになるように、アメリカのフェローというポジションの殆どが、同国でレジデントを修了している医師を対象としています。すなわち、私のように日本で専門医まで終わっているからといって、アメリカでレジデントをスルーしてフェローとして働くことは難しい、ということです。

近年、アメリカ国内でも移民に対する敵対感情が強くなっており、アメリカ国内の比較的人気の高い職業やポジションは、まずはアメリカ人に振り分けられるべきだと言う意見が増えてきています。レジデントをせずにフェローとして働くという方法は、年々難しくなっています。

しかし、後々聞くと、そこはやはりアメリカです。抜け道は幾らでもあるようです。そのようなポジションはネット上で公開されていないだけで、病院なり研究室なり、アメリカの組織内に居座ればそのような情報は自ずと耳に入ってきます。私の知り合いにもそうやってフェローとなった人がいますし、ハーバードに留学中に上記にような「私の夢破れた話」を現地の医師にしたところ、「探せば幾らでもそのようなポジションがあるよ」「今からでも遅くないからやってみれば?」といった助言も頂きました。

まとめ

帰国を選んだことに後悔はありません。実際、帰国時には臨床だけでなく研究にも視線が向きつつあり、既にハーバード公衆衛生大学院留学を見据えていました。

しかし、やはり海外で臨床をするという夢は心のどこかでくすぶり続けていましたし、だからこそオーストラリアに臨床留学をするチャンスがあった時に思わず掴みにいってしまったのだと思います。

アメリカで臨床留学に興味のある人は、是非とも私の失敗談を参考にしていただければと思います。

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コメント

コメント一覧 (3件)

  • いつもブログを読ませていただいております。医師8年目の血液内科医です。海外への憧れを捨てきれず、子連れですが留学を夢見てUSMLEやTOEFLの準備をしています。他の米国留学されている先生方のブログを読むと、準備がとても早く(学生時代など…)落ち込みますが、これまでやってきたことが無駄になるわけではないと言い聞かせ、隙間時間に勉強をしています。
    なかなか身近に相談できる人もおらず、とても参考にさせていただいております。MPH留学についても検討しており、とても勉強になります。
    今後も参考にさせてください。
    情報提供をありがとうございます。

    • コメントありがとうございます。
      本ブログに書いてあるように、私が留学について興味を持ち対策し始めたのは周囲と比較し遅かったと思います。それでも私なりに何とかやっていますので、何とかなるのだと思います。何かお聞きしたいことがあれば、いつでもご質問ください。応援しています。

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