USMLEを受験しようと思うまで

海外に全く興味のなかった私ですが、本ブログを見ていただければわかるように、今となっては日本と海外を行き来するようになってしまいました。遅いながらに何故USMLEや海外留学に興味を持ち始めたのかを、そもそものきっかけを書き記したいと思います。

目次

海外に興味のなかった学生時代

アメリカでの臨床留学に興味を持つ人は、学生時代よりUSMLEの勉強を開始、受験、そして合格している人の方が多い印象があります。私の周囲にも、学生時代に既にUSMLEを合格したという同期が、数人いました。

一方、私は海外にこれっぽっちも興味がなく、初めて海外に行くためにパスポートを作ったのも大学6年生の実習時でした。USMLEなんて聞いたことがあるような、ないような、といった学生でした。

海外に興味のなかった研修医時代

体たらくな学生時代とは一転、三次救急病院での多忙な研修医時代が始まりました。アメリカのピッツバーグ大学と定期的な交流があった研修病院でしたが、私の日本好きは変わりませんでした。

「日本の医療は世界トップレベル」

「日本人は器用で丁寧」

「日本人は勤勉」

「海外のやり方は日本では合わない」

そんな噂を真に受け、海外を見てみようという気はサラサラありませんでした。毎日毎日臨床に没頭し、臨床能力を上げることのみを最大の目標とし、日々病院で過ごしました。

私が研修した病院は、当時「年棒制」でした。一年間の給料が決まっており、何回当直してもプラスαの給料は発生しませんでした。

しかし(だからこそ?)、私の同期達は我先に働いていました。どうせ給料が変わらないのであれば、できるだけ経験を積んで良い医師になった方が良い、そういった感覚だったんだと思います。

病院内に宿舎があり、田舎で遊ぶ場所も周囲になかったため、当直でなくても暇さえあれば救急外来や病棟に足を運んでいました。時間を見つけ出来るだけ多くの患者を診ることで、臨床能力を上げたいと思っている人が集まる、そんな病院でした。

当時の私は、臨床能力が高いことが、医師として至高であり最大の栄誉であると考えていました。そして、日本で今後医師をする限り、日本の病院内で努力し続けることが必要十分条件であると思っていました。しかし、心のどこかで、海外の臨床留学に挑戦している人、自分が未知の分野で努力している人に対する、嫉妬のようなものがあったんだと思います。

初めての海外学会

卒後四年目に、大学の医局に入局しました。私が所属した大学では、「Early exposure」と称し、全ての若手医師が上級医と共に海外の学会に参加し、海外に早期(early)に暴露(exposure)されるというシステムがありました。私の場合も、発表がなくてもアメリカ麻酔学会やアメリカ集中治療学会に連れて行ってもらいました。

そのEarly exposure中のことでした。現地で活躍している日本人医師が一同集まり、食事会を通じて触れ合う機会がありました。皆働いている場は違えど、アメリカやカナダで活躍している臨床医や研究者でした。そして、あの場こそが、私の海外への興味を一気に引き上げることになりました。

彼らは、とても輝いていました。自信に満ち溢れ、自分たちが置かれた環境を生き生きと語り合っていました。しかし、彼らと当時の私の歳は、そんなに変わらなかったんです。医師として既に四年目も終わり頃のことでした。同年代かちょっと上の日本人医師が、とても生き生き輝いていたんですね。

私はそれまで臨床医として人一倍努力し、患者に向き合ってきたつもりでした。病院内に長く居残ることが良しとされるあの時代、他の人よりも長くベッドサイドにいる努力をしていたと思います。正直、海外で活躍している日本人医師と比べ、自分の方が臨床的に優れていることはあっても劣っていることはないという自信がありました。それでも当時、私には、彼らの方が輝いて見えたんです。

USMLEの受験を決意

それまで、海外で活躍しようとしている人を、心のどこかで嫉妬し、かつ否定していた私に、スイッチが入った瞬間でした。

私も海外に行こう

英語は全くダメな私です。学生時代も全く英語を使わず、医師になっても臨床だけ。海外には目もくれず、むしろ海外を否定してきた人間でした。既に医師5年目も間近に迫り、もうすぐ30歳になろうという冬のことでした。突如、海外に行こう、海外で臨床をしたい、と思ってしまったんですね。

現地の日本人医師達との食事会をしたその日の夜のことです。ホテルに帰り、熱冷めやらぬまま、AmazonでUSMLEの対策本を購入しました。そして、帰国と同時にUSMLEの勉強を開始しました。

夢破れ、そしてまた追いかける

結局、USMLEのStep 1, Step 2 CK, Step 2 CSまで無事合格し、ECFMG certificationを取得したものの、アメリカでレジデントやフェローをするという目標は達成できませんでした。

しかし、ECFMG certificationまで持っているにも関わらず、何故か来年からはオーストラリアで臨床医として働く予定です。人生、何があるかわかりませんよね。

今後、それぞれ記事にしていきたいと思っていますので、乞うご期待下さい。

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コメント

コメント一覧 (4件)

  • […] 前回記事にしたように、私は医師5年目になって初めて海外留学というものに興味を持ち、そこから初めてUSMLEの勉強を始めました。USMLEを受験した人の多くが学生の頃から何かしらの対策をしているのに対し、私は30歳を過ぎて勉強を開始しました。 […]

  • […] こちらにも書いていますが、私はそもそもアメリカ臨床留学に興味をもち、準備をしてきました。しかし、現時点ではその目標を達成していませんし、おそらく今後もすることはないでしょう。 […]

  • […] 例えば、アメリカでは医師としてのスタート地点であるレジデント(「米国臨床医の階級」参照)からやり直さなければならないことが多く(※フェローから開始することも可能は可能のようですが、以前よりもその募集プログラムは少なくなってきています)、留学を目指す人の年齢も比較的若いです。また、アメリカで臨床行為をするためにはECFMG(USMLE Step 1, Step 2CK, and Step 2 CS)を取得していなければなりません。そのため、最も多いのは、学生や初期研修の頃からこれらの試験勉強に励み、日本で初期研修を修了後(または数年間の準備期間の後に)渡米するケースではないでしょうか。 […]

  • […] 例えば、私はある出来事がきっかけで海外に興味を持つようになりました(”USMLEを勉強しようと思うまで“参照)。しかし、英語は非常に苦手でした。それでも、「どうしても臨床留学したい。そのためにはとりあえず米国に渡り、現地で英語も学ぼう」と考えた訳です。それが最初のアメリカ留学でした。研究留学でしたが、その主な仕事は企業主体の臨床研究の同意を取得しデータを集めることでした。無給でしたので貯金は減る一方、研究の成果は殆どありませんでしたし、差別も受けました。それでも、毎日実際の患者に研究の説明をし、日本人と触れ合うことの殆どない留学生活のお陰で、英検3級を落ちるような英語力であった私ですが、USMLEのStep 2 CSをクリアしECFMG certificationを得る事ができました。 このような一連の流れでも […]

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