論文と撤回

失敗はシェアする。そうです。このブログのモットーです。

私は研究において大きな失敗を犯してしまいました。皆さんの参考になればと思い、恥を承知でシェアさせていただきます。

目次

疑惑(?)の論文

問題となった研究は、体温と酸素消費量との関連を調べた研究でした。「高体温で酸素消費量が増加し、低体温で酸素消費量が低下する」と教科書には書いてありますが、動物を用いた基礎研究が多く、ヒトに対して体温の変化を広い範囲で連続変数として捉えた研究は少ないので、その関係性を再評価しました。

中枢温と酸素消費量について、手術開始から終了までの1分毎のデータを集積しました。約7500名を対象に、100万以上のデータを解析しました。

このように、体温と中枢温の間に(これまでの概念とは異なる)興味深い関係性を認めました。いろいろな解析を追加し、論文を執筆し、無事アクセプトに至りました。

Unit error

ここまでで、実は大きなミスがあるのですが、みなさんはお気づきでしょうか。

そうです。酸素消費量の単位が一桁違ったんですね。公表後に間違いを発見してしまいました。急いで全てのコードを見直しましたが、コードに間違いはありません。遡っていくと、なんということでしょう。データ抽出時から既に単位が間違っていたのです。調査の結果、麻酔器の仕様書のミスが原因で、酸素消費量を計測する麻酔器からデータを別会社のサーバーへ転送する際の単位が間違っていることが判明しました。

Erratumを依頼

皆さんは、「Erratum (correction)」をご存知でしょうか。いわゆる「論文の修正」ですね。ただし、一度公表した論文そのものを修正することは不可能ですので、既に発表した論文に「論文内のXXを〇〇に修正する」という注意書きをつけてもらおうとしました。出版後の本に挟んである付箋のような正誤表、といったらわかりやすいでしょうか。一般的に、論文の趣旨に影響を与えない軽微な変更に対して許可されるものです。

今回の場合、桁が異なっていても統計学的な検定結果は同じであり、当初の研究目的である体温と酸素消費量の関係性自体は変わりません。そこで、雑誌の編集者にErratumを申請しました。

激しいツッコミ

しかし、編集者から激しいツッコミが次々に入りました。例えば

桁が違えば臨床的な重要性が変わるのではないか

というツッコミに対しては

桁が違っても臨床的に有意な差であることには変わりない(単位エラーにより差が異常に大き過ぎただけで、正しい単位であっても決して無視できる差ではない)

体温と酸素消費量との関連を調べるという当初の目的は達成されており、その関係性自体は変わらない

と回答しました。

査読段階で酸素消費量の計算式の記載ミスがあったことも突っ込まれ

今回の問題は単なる単位のエラーではなく、お前のデータ処理のミスではないのか

と言われましたが、

原因はデータ処理やコードのミスではなく、麻酔器の仕様書のミスによるものである

と返答しました。

査読時のようなやり取りをメールで何回も行いましたが、そもそもの原因は著者のミスではなく企業のミスであることに編集者は納得したようで、麻酔器の海外本社から仕様書の間違いであることを明記したサイン付きのレターを書いてもらい、雑誌に提出しました。

最終的な判断

大変なやり取りではありましたが、何とかなったのかと思っていました。が、検討の結果、残念ながら「retraction」すなわち論文の撤回の方針となってしまいました。ただし、ミスを自ら正直に申し出たということが考慮され、研究者自ら論文を撤回するという「self-retraction」が認められました。

ちなみに、データの捏造や盗用といった不正行為があり雑誌によって論文が撤回されることを「editorial borad-retraction」と言います。

考察

なぜこのような論文撤回という結果になってしまったのでしょうか。どの段階でのミスであれ最終責任は研究者にある以上、当然の結果と言えます。一方で、国際的な日本に対する信頼の低さも否定できません。論文撤回をパトロールしている団体からの報告によると、世界における論文撤回トップ10のうち5名が日本人、しかも医師ということです。2024年には、Science.orgというWebサイトに以下のような絵が掲載されました。ご存知、富嶽三十六景をモチーフに、日本人により撤回された論文の多さに対し、皮肉がこめられています。

Science.orgより

では、どうすればこのような事態を防ぐことができたのでしょうか。当然、繰り返しの確認、複数人による確認が大切です。また、臨床的な感覚と照らし合わせることが重要です。データサイエンティストも医療データを用いた研究ができますが、彼らの弱みは医療データの解釈が難しいことです。その点、医療者は臨床的感覚でデータが正しいか判断できます。例えば、血清Na濃度が1400などというのはあり得ないことは、医療従事者であれば一目瞭然です。酸素消費量に関しても、同様の感覚を持つべきでした。今回のエラーに関しては、臨床医としてのアドバンテージを活かしていないことは残念でした。

最後に

Self-retractionとはいえ、私も論文を撤回した一人となってしまいました。Pubmedにもジャーナルにも、永久に消える事のないretractionという文字が刻まれました。私個人だけでなく、研究界隈における日本人医師の信頼を更に落としてしまったのかもしれません。皆さま、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。反省するとともに、少しずつでも信頼を取り戻せるよう頑張りたいと思います。

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • いつも勉強させていただいております。麻酔専攻医2年目です。

    先生のように失敗をシェアしてくださる方は、他に見たことがありません。

    信念と勇気、利他の心があるからこそできることだと感じます。

    自分も少しでも日本の医療に貢献できるよう、研究と臨床の勉強を続けていきます。

    ありがとうございます。

    • コメントありがとうございます。先生のような方がおられるだけで、私も勇気づけれられます。一緒に盛り上げましょう。

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